好きな雑誌を読まなくなった話
先日、&premiumを積極的に買わないようにしよう、と思い立った。
結構熱心なファンだったのだ。紙面の写真はいつだっておしゃれだったし、巻頭のお花も気の利いた特集も羨望と紙一重と言っていいほど好きだったことには変わりないだろう。あと、どうしても拭えないややブルジョア的なところを覆い隠し切れていない雰囲気とか、世の喧騒などものともしない文化的精神的資本の豊かさとか、そういうところにも憧れていたのも否定できない。
が、私と&premiumを隔てたのもそれだった。昨年末頃に発売された号で糸井重里氏のインタビューが載っていたのを見て、&premiumに向けていた羨望がスウーと引いていった。熱が冷めるとかそういう感覚ではなく、明らかに失望だったと思う。
本屋でその号を見かけるたびに買おうとして手を伸ばしたが、やはり糸井氏のインタビューが載っていると思うと購入してまで読む気にはなれなかった。
&premium、いい雑誌だと思う。おしゃれだし、良い道具や素敵な過ごし方とか、考え方とか、このご時世にあってもゆったりと時間が流れていて、編集部が自覚か無自覚かは置いておいて、そこそこ有閑貴族的である、という印象を持っている。
ただ、糸井氏のインタビューを掲載しているところを見るに、その有閑貴族的なところと糸井氏の感覚とが不思議とマッチングしたのだと受け取ってしまった。4年ほど前にも氏のインタビューが掲載されたことがあるようなので(当該号は手元にないが)、おそらく、両者間はそこそこいい関係性を築いているのかもしれない。知らんけど。
私は今まで糸井氏の発信するコンテンツに触れてこなかった。せいぜい、編み物をしていた時期に何かを検索してほぼ日サイトに辿り着いた程度だろうか。あとはジブリのコピーか。手帳は下部に印刷されている言葉がノイズになりそうだったので、購入を検討したことはあれど常々選外だった。が、SNS上で見る氏の言葉には常々嫌悪を感じていたために、氏のインタビューが載っている号を見て好きな雑誌に抱いていた疎外感を自覚し失望した上で購読をやめた。
ブルジョア的と表現したが、手垢の付いた言葉を使うと「丁寧な生活」という分類に入るのだろう。&premiumという雑誌をひとまず通年とおして読んでいるとわざわざブルジョアだの何だのと揶揄するようなこともないのだが、先祖代々住んできた都心一等地の屋敷だとか、先祖が建てた別荘とアンティーク家具を譲り受けて生活しているとか、週末だけ田舎のセカンドハウスに住まうとか、そこそこの値段のするものが”推奨されるもの”としてずらりと並んでいたりだとか、そもそも今の自分には到底叶いそうもないものばかりが並んでいるのだ。そういうものが駄目だ、とかではなく、地方でどうにか生きている私個人にとって非現実的なことばかりなので、この雑誌に対して最初こそ「ああ、私は&premiumの客ではないな」と自覚しただけの話だったが、糸井氏のインタビューが掲載されていることが一番の決定打だった。
どんな時勢にも揺るがされることなく、自分のペースを守る、というスタンスのみであれば支持のしようもあるのだが、この雑誌には社会的側面が見えないのだ。立ち読みすらしなかった”糸井氏のインタビュー”(さほど誌面を割いていないようにも見えたが)が雑誌のひとつのスタンスを表しているようで、好きで読んでいた人間としては辛かった。社会的側面が見えず、ブルジョア的なことは雑誌としての一種の長所であろうが、今の私はそれを許容することができない。
最近は実用も兼ねて暮らしの手帖を選ぶことが増えたが、こちらはこちらで戦中の花森安治とケリを付けなければならない(これは私の気持ちの問題です)。ただ、暮らしの手帖はかなり内省的というか、生活する人間の息遣いが見えて落ち着く。
まだ&premiumへの複雑な気持ちは抱えているが、まあ、そのうちどうにかしよう。
推しと私
こんにちは、はじめまして。透子です。普段は主に洋画を糧に生きています。
初めてのぽっぽアドベント参加、今回は「変わったこと/変わらなかったこと」がお題ということで、「大きく変わったこと」を書きました。ぜひご笑覧ください。
突然だが、推しができた。それも二人。
『ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-』の山田一郎くんと、『鬼滅の刃』の煉獄杏寿郎さんである。
両者とも今をときめくジャンルを代表する魅力的なキャラクターだが、二次元の推しは『鋼の錬金術師』のジャン・ハボックとアレックス・ルイ・アームストロング以来だ。久しぶりすぎて勝手が分からない。とりあえず、推しが所属するディビジョンメンバーのねんどろいどを揃えてみようと計画してみたり、公式が次々と発表する素晴らしいクオリティのフィギュアやキャラクターイメージのアクセサリーを予約をしてみたり、先日発売された最終巻の特装版を購入して小さな付属パーツをこれまた小さなフィギュアの手にくっつけてみたりしながら、推しや推しジャンルとの距離を模索している最中だ。
記憶している限りでは15年ほど洋画と日本史を行ったり来たりしながら過ごしているので、二次元にここまでのめり込んだのは本当に久しぶりである。離れていた分妙な苦手意識も芽生えてしまい、これから熱心に追いかけることはないだろうなあとぼんやり考えていた。しかし、人生何が起こるか分からない。
そもそものきっかけは身辺の急変である。
今年の春には上京を計画していて、就職先も決まっていたが、紆余曲折を経て家族や友人たちに大きな迷惑をかけた挙句、断念することになった。自分の不甲斐なさや責任感のなさがもたらした結果ではあったが、喪失感は凄まじかった。それでも会社は辞めたくて仕方がなかったので、こなくそという気持ちで退職した。
そんな中、父が救急搬送される事案が発生した。幸い一命を取り留め(あと少しでも対応が遅くなっていたら絶望的だったらしい)、投薬治療は継続しているものの、主治医から旺盛な食欲を呆れられてしまうほど回復し、本人は至ってのほほんと半引退生活をエンジョイしているので今でこそ「事案」と若干揶揄した言い方をするが、しばらくの間は本当に大変だった。まず面会は出来ないし、熱もあるというので検査も増えた。伝え聞く救急センターの状況は常にピリピリしていたし、病状説明のために1日中待たされた病院の待合室には暗いニュースばかり流れてくる。おまけに、父が何の病気か全く想像出来ない。なにしろ、この30年間で寝込んだことが一度か二度あるかないかという人間である。持病といえば高血圧くらいだろうか。待てよ、そういう人間ほど一気に悪くなるんじゃないか?などとろくでもないことばかり考えてしまう。その上、搬送された後に容体が急変したとかしないとかで、すわ明日は手術か葬式か、というどんよりした不安が日に日に蓄積されていった。
そういえば、父が倒れたと連絡があったのはハローワークへ登録しに行った帰り道だった。上述の通り勢い勇んで辞めた会社は出張も残業も理不尽も多く、万が一あの時の状況が違えば、と思うと未だに背筋が凍る。今年のはじめに大叔母を亡くし、その知らせを受けた際に早退を願い出て許可を得たまでは良かったが、結局なんだかんだいつもどおりの残業になってしまって通夜に間に合わなかったということがあったのだ。それを考えると父が倒れてから家内の細々したことを家族と分担できたので、あの時期に辞めて正解だったと心の底から思っている。
ただ、この一連の騒ぎはさすがに堪え、父の病気のことや今後の不安を書き溜めてnoteに掲載した*1。それを読んでくれた10年来の友人から、ドライブに行かないかと誘われた。
当時の私はとにかく息抜きを欲していた。しみったれたニュースばかりだし、映画の公開延期にも景気の悪さを感じてくさくさしてしまう。Netflixで映画を見ようにも、大きな画面で楽しめないことが結構なストレスになってきていた。私は「行く」と即返信し、無職でよかった~!と、真っ白なスケジュール帳にでかでかと「ドライブ」と書き込んだ。
前置きが長くなってしまったが、やはり友人に会うと新しいジャンルに触れる。ヒプノシスマイク(以下ヒプマイ)もそうだった。
ドライブ当日はヒプマイについて説明しつつ運転する友人の隣で「あおひつぎさまとき 漢字」や「ヒプマイ 新宿」などを検索するのに一生懸命で、助手席に乗りながら一切の道案内をしなかったことを覚えている。すまない。私にとってラップと言えばウィル・スミスであり、DA PUMPのそれだった。確かに聴く機会はあったし、気付いていないだけで今まで聴いてきた音楽に占めるラップの割合はそこそこ高い可能性もあるが、いかんせんラップに関して具体的な知識がない。せいぜい「韻を踏むやつ」とか、その程度である。
大丈夫かそんなので、と思うが、走るカラオケと化した車内で全楽曲を聴いた結果、主人公格である山田一郎くんに心を奪われた。だってラップがめちゃくちゃ上手い。ラップの知識ないとか言っている私ですらその上手さは桁違いだと分かるくらい上手かった。本当に上手い。気になる方へ向けて手前味噌ながら宣伝するが、一郎くんのソロ『俺が一郎』は好良瓶太郎さんのリリックが繊細で、キャラクターの造形を語る上で欠かせない楽曲になっているし、めちゃくちゃクールだ。「夢掴んだら離すな兄弟 理想が現実超えるその日までは」のあたりとか特に一郎くんの過去や人となりを端的に表現していて「一郎くん~~~ッ!」ってなる。しんどい。好き。久しぶりに音楽を聴いて泣いた。
なお、一郎くんの2曲目のソロ曲『Break The Wall』はエンパワメントラップだ。テンションがブチ上がるので是非聴いて欲しい。
ちなみに、一郎くんを推すしかないな、と確信したのはドラマCDで一郎くんと彼の好敵手である左馬刻のやり取りを聴いてからだ。どのシーンだったのか詳細は覚えていないのだが、夕日に照らされた美しい海岸線を横目に車を走らせながら「あっ!!!」とここ一番に大きな声を出してしまった。天啓である。こんなドラマチックな推しとの出逢いがあってたまるか。ありがとう。
そんなこんなで、私のラップに対する解像度は格段に向上した(DA PUMPはPurple The Orionが好きすぎて一郎くんにカバーして欲しい。DA PUMPとBuster Bros!!!、親和性が高いのでは…?と勝手に思っている)。ヒプマイと接しているとこれでもかという程あらゆる角度からラップの情報が流れてくるのだから、これはファンもラッパーになってしまう。
ヒプマイは声優さんたちのラップに捧げる熱量が凄まじく、ライブもクオリティが高い。ライブでは声優さんがキャラクターイメージの衣装を身に付けパフォーマンスをするし、なんかもうすごい。ヒプマイ5thライブ配信の熱量がまだ冷めやらぬ5月末、Twitterで検索すると山のように感想を伝えるツイートが出てきて嫉妬で胃がどうにかなりそうだった。
当時はヒプ生という番組のアーカイブが配信されていたのでその恩恵に預かることができ、5thライブに間に合わなかった悔しさも幾分溜飲が下がった。ヒプ生では声優さんがラップバトルをするコーナーがあり、回を追うごとに彼らのスキルが上がっていった。視聴者からリリックを募りそれをビートに乗せる、という企画も行っていて、それを書くファンのスキルも上がる。先述したようにヒプマイにハマるとファンまでラッパーにする気かというくらいラップに関する情報が巡ってくるが、これもまた楽しい。声優さんたちがラップという音楽を楽しんでいる様子を見るのも頬が緩む。気のせいか身体の調子がいい。「ヒプ生は健康番組」とはよく言ったものだ。*2
ヒプマイの影響で以前よりラップミュージックに意識的に触れるようになったし、日本語ラップにも興味が湧いた。まだライムをバチバチに刻むには至らないが、ラップを聴きながら「いいパンチラインだぜ……」と考えるなどなかなかいい感じに仕上がってきている。
そして、どこにも行けないストレスを春の終わりから夏の始まりの間のドライブとヒプマイで解消しながら、私はついに再就職先をゲットした。
課金できる余裕を手に入れたため、満を持して開設が決定したファンクラブに入り、舞台版*3も全て観てすっかりヒプマイ漬けになったところ、友人から更なる追い討ちをかけられた。今までと比べると生き急いでいるのかと錯覚するくらいのスピード感だ。
果たして、私は世間の時流に乗ることとなった。
『鬼滅の刃 無限列車編』である。
原作を4巻までしか読んでいない私を『鬼滅の刃 無限列車編』に連れて行ったのも件の友人だった。友人は3月頃に原作を貸してくれていたが、あろうことか私は大分尻込みをしていたのだ。
『鬼滅の刃』なる漫画がなんだかすごいことになっているという認識はあった。ただ、昔からとにかく流行に乗り遅れるか流行を先取りし過ぎたりするタイプのオタクで、自分のミーハー気質を忌避し、絶対好きなのに距離を置くこともよくある。我ながら相当な天邪鬼だ。きっと友人から誘われなければ「ふうん…?流行ってるんだ…?」といつまでも斜に構えていたに違いない。そんな性格だから(性格のせいにさせてくれ)、Twitterのお友達もおすすめしていたな、確か主人公が炭治郎くんで、妹が鬼になっちゃうんだよね?という、至極ざっくりした認識のまま乗車の日を迎えた。
結果、煉獄さんのことしか目に入らないオタクが出来上がった。
煉獄さん、すごくかっこよかった。初乗車後は「煉獄さん……」しかツイートできなくなっていたし、相当かっこよくてすごいものを見せつけられた衝撃が強く、心拍数が上がった。煉獄さんの姿を思い出すたびドキドキするし、暖かく穏やかで、なおかつ煉獄さんの芯の強さや麗しさを表現された日野聡さんの声をもっと聞きたくなったし、完全に恋のそれだ。
だってすごくかっこいいんだもん。序盤の炎の呼吸のエフェクト見た?最高。なんならここで恋しちゃってたかも知れない。ちょっとユーモラスなところも好き。猗窩座との死闘で見せたあの剣戟の一つ一つがこれでもかというほど強く、美しく、愛しい。彼の全てを目に焼き付けておきたいし、煉獄杏寿郎の振るう日輪刀の切っ先を彩る月の光になりたい。
観に行くたびに興奮を禁じ得ないし未だに映画の感想を認めることができないくらいだが、毎回のように煉獄杏寿郎に恋して出てくるのだから仕方がない。煉獄さんの一挙一動にときめきを隠せないし、彼のきらきらしい様を思い出しては「あ~~~好きだな~~~」とみぞおちのあたりがギュッと軋むのだ。恋じゃん……。
あんなにかっこいい人を今まで知らなかったとかめちゃくちゃもったいないな?と思いつつやっと原作を読む運びとなったが、煉獄さん本人の登場は8巻までだ。4巻まで読んだならせめて8巻までは読んでくれ、と3月頃の己に突っ込みを入れたい。
ヒプマイでも出費が増えたが、『鬼滅の刃』関連商品に対する物欲は止まることを知らず、先に乗車した兄弟からグッズが残っていたら何か買ってきてくれと頼まれた時は「まあ見れたら見てみるわ~」くらいだった私が、乗車翌日には煉獄さんモチーフのキャラクターグッズのためにアニメイトへダッシュしていた。更に翌週早々には2回目の乗車を果たし、観終わった後はせっせと煉獄さんグッズを買い漁っていた。せっかく家計簿をつけ始めたというのに娯楽への出費が格段に増えている。しかしこれは必要経費なので、しばらくの間は娯楽費予算を増やして己の物欲との折り合いを付けることにした。
ありがたいことに無限列車編の劇場物販は事後通販が行われ、公式が毎日のように新たな商品を繰り出してくるのだからたまらない。これが饅頭怖いか……としみじみ感じた。
普段はキャラクターグッズにさほど食指が動かないために今までかなり省エネなオタク生活を送ってきたのだが、この数ヶ月でアクスタ──本当に使い道が分からない。分からないのに買ってしまう──やぬいぐるみやラバストが恐ろしい速度で増え続けている。
学生の頃なんて推しのフィギュアが出ていても自分で買うことすらできなかったから、その時の鬱憤を晴らすかのように煉獄さんの1/8スケールフィギュアやるかっぷなどなど、心に響いたものは即予約している。推しは待ってはくれない。正直まだ迷っているものもあるけど、きっと予約締め切り直前に「やっぱり欲しい!」とか言って予約するんだろうな……。
ただ、原作を全て読み、アニメも完走し、映画を観に行くたびにどんどん作品の輪郭が自分の中で出来上がっていく過程がとても楽しい。生きているな、と思う。
ところで、最初に「推しや推しジャンルとの距離を模索している」と書いたが、ヒプマイに関しては手放しに推せないのが現状であるため、心理的な溝を認めざるを得ない。
ヒプマイは、男による暴力を排除するために女性が政権を握り、言葉が力を持つ社会が舞台となっている。第三次世界大戦の傷がまだ癒えぬ中、ヒプノシスマイクを渡された男たちは、それぞれの威信をかけてディビジョンラップバトルへと臨むのだ。このディビジョンラップバトルで優勝すると*4、賞金一億円と他ディビジョンのテリトリーを獲得することができる。現在6ディビジョンで話が動いているが、それぞれに確執があり、ドラマトラックなりバトルなりに反映されていく。
常々気掛かりなのが、ヒプマイというコンテンツの構造が意識的な女vs男になっていることだ。
政権を握っている女性たちは男性を罵り、虐げ、男性は女性の10倍の税金を払い、居住地もディビジョンと呼ばれる区画に限られている。公式が実際にそう表現したかどうかは知らないが、この世界観を評してよく使われるのが「女尊男卑」という言葉である。
正直、公式の提示した設定のどこがどう女尊男卑なのか理解ができない。男性の居住区が限定されているとは言え、現時点で表に出てきているのは大都市にあるディビジョンであり、そこにも女性が住んでいる。中王区と呼ばれる政権の要職は全て女性で固められているようだが、その反面、低賃金と想定される職業に従事しているのも、人質に取られたり、所有格をもって「俺の」と示されたりするのも女性なのだ。医師にも弁護士にも女性はおらず、ヨコハマ署に女性警官の気配はない。男性はというと、ヒプノシスマイクを渡され、ディビジョンラップバトルで強さを勝ち取ることを許されている。一応、政権側の女性たちもラップで戦うシーンがあるのだが、「君も男ならラップできるだろう?」と聞かれ「はあ、まあ…」と答える男がいる世の中で女性のラップがどこまで浸透していてどれほど強力(一応、言葉が力を持つ世の中だ)なものかは分からない。御託はいいから女もディビジョンラップバトルに出場させろ。
税金10倍も「出たよ~~~なんか強そうな数字」という感じですごく間抜けだ。せめて5倍とかにしとけよな。ていうか”男女”で税率を分けてんだ?大丈夫か?
そもそもプロジェクトの立ち上がりの骨子が声優×ラップであり、ラップバトルはファンによる投票で結果が変わっていく。初期はストーリー展開も見えていなかったし、色々派生して設定がおざなりになってしまうから……と擁護できるのかもしれないが、ここまで大きなコンテンツになりアニメまで制作されると筋が通らないまま続けるのは違う気がする。4年目に差し掛かったジャンルとしては構成が脆弱だし、ドラマトラックが本筋かと思いきやコミカライズも数種ある。その中で物語を統括していくのは骨を折る作業になっていくことだろう(そもそも、ストーリーをまとめる気が公式にないのなら話は別だ)。アニメに先立って発売された公式ガイドブックで新しい情報を知ることができると思っていたのだが、8割は既知のものだった。目新しいことと言えば、各キャラクターのラップの特徴を示すラップアビリティ*5という概念が出てきたことだろうか。
周知の事実だろうが、ヒプマイはミラーリングに失敗していたり*6キャラクターに差別用語を使わせてみたりしていて、何かとずれている。多分公式は世相の変化なんてどうだっていいのだろうし、こんな設定にするくらい社会の認識が歪んでいるのだろう──というのは憶測でしかないのだが、ヒプマイファンが抱えている違和感や変化し続ける世相を公式側が汲み取らない限り、ジャンルとして失速してしまうのではないか、と危惧している。
どうせなら世界に照準を当てて活躍して欲しいし、ここまで成長したプロジェクトを手垢まみれのマッチョイズムで滅ぼすのはもったいないし、一ファンとしてとても寂しい。
しかし悲しいかな、私は日本の純粋培養の男社会で育ってきたために濾過されていない状態のあらゆる無配慮さと波長が合ってしまう瞬間が人生の中で何度もあった。さほど過去のものでもないそれが嫌で仕方ないのだが、己の未熟さをひとつずつ詳らかにされるようにヒプマイを通して見せつけられると、これからもこのジャンルを推せるのか、推していいのか分からなくなってきてしまう。
何かを推しているときに一番恐ろしいのが「熱が冷めてしまったらどうしよう」なのだが、ヒプマイとはむしろ残酷な別れが待っているようで気が気じゃない。まあ、そんなこと言ったって私は一郎くんが左馬刻と和解するまで見届けないといけないし、ヒプマイ関連はどうしたって気になるから細々と追いかけていくことになるだろう。だからこそ、公式はヒプマイというコンテンツをどんどんアップデートしていってほしい。
転機の兆しはある。風向きが変わったのは、中王区の女性たちの『Femme Fatale』とディビジョンフルメンバーの『SUMMIT OF DISVISIONS』のMVが公開された辺りだった。公開後のファンの戸惑いが大きかったことを覚えている。特に、男性側の新曲の「推しは推せるときにが鉄則」や「少年少女紳士淑女中年熟女」のあたりにめちゃくちゃ突っ込みが入っていた。一方、中王区の女性たちに共感する向きは強かったように思う。片やファンという存在にかつてないほど具体的に訴求したリリック、片やひとりの人間として生きようとする強い意志を持ったリリックである。もしも中王区がディビジョンラップバトルに参戦することがあるなら、彼女たちに勝ち上がって玉座に君臨し続けて欲しい。推しより推すかも分からん。
年が明ければセカンドバトルシーズンも始まる。これがまた地獄と噂なのだが、この先に何があるかを見に行こうぜ!諦めるにはまだ早いだろ?(Break The Wall)
そういえば、NTLでジェームズ・マカヴォイ氏がラップをするとはとさんから教えていただいた。レペゼンパリ、ジェームズ・マカヴォイ a.k.a. シラノ・ド・ベルジュラックのラップアビリティ、めちゃくちゃ気になる……。
本当は煉獄さんのこともたくさん書きたかったのだが、また次の機会に書こうと思う。考えていたよりヒプマイに精神直結カスタマイズされていた。
最後になりましたが、みなさまどうかヒプノシスマイクと山田一郎をよろしくお願いいたします。
明日のぽっぽアドベントは、
変わった/変わらなかったこと Advent Calendar 2020 - Adventar
①はるさん
変わった/変わらなかったこと2 Advent Calendar 2020 - Adventar
②ご飯でススムさんと約9999人さん
変わった/変わらなかったこと3 Advent Calendar 2020 - Adventar
③松倉東さん
のお三方です。
*1:現在ぷらいべったーに転載済み(https://privatter.net/p/6689510)。
*2:ヒプ生のラップバトルで負けたチームがものすごく濃い青汁やササヘルスなどのクセの強い健康飲料を飲む慣例になっていたため、声優の皆さんがそう表現されていた。あと一郎くん役の木村昴さんが、「皆さんの健康のために…」的なことを仰っていたような気がする。余談だが、山田二郎役の石谷春貴さんはササヘルスを作っている会社の社長さんからリプライをもらったことがあるらしい。そしてこの社長さんはラップ勉強中とのことだった。
*3:ヒプノシスマイク -Rule The Stage-のこと。演者さんがこれでもかというほどキャラクターに寄せてくる恐ろしい舞台。私の初2.5次元舞台作品です。やばい。本人しかおらん。みんな声優さんの声帯借りてきたんか?というくらい本人。発表当時は舞台オリジナルディビジョンなどで物議を醸したそうだが、個人的には公式よりずっと公式だし安心して観られる。ずっとやってほしい。とりあえず高野洸くんの山田一郎を見てくれ。
*4:私の推しディビジョンBuster Bros!!!は、前回のディビジョンラップバトルでヨコハマ代表のMAD TRIGGER CREWと戦い、初戦で敗退した。Buster Bros!!!は未成年のみで構成された唯一のチームであるためか、いつも子供だとか兄貴(一郎くん)いなきゃイキがれないだとか、他ディビジョンの大人たちから散々いらん説教を受ける。やかましい『俺が一郎』を浴びろ。二郎や三郎のポテンシャルの高さに恐れ慄け。
*5:一郎くんのラップアビリティはCritical Blowだそうだ。ちなみに一郎くんの好敵手、碧棺左馬刻のラップアビリティはCounter Blowである。お前らマジか……。
*6:これを書きながら、「いや、別にミラーリングしたいわけでもなさそうだな……」と思った。左馬刻の母はDV被害者だし、左馬刻は妹の合歓に兄弟だからというには幾ばくか泥臭すぎるマッチョな執着を見せる。一郎くんは差別用語を使って兄弟を叱り、楽曲では未成年者に「別に女なんか興味ねえ」と言わせる。中王区トップの東方天乙統女は父親のモラルハラスメントに遭い、幹部の勘解由小路無花果はかつて性別を理由に不遇な扱いを受けていた。中王区の過去が「発覚」したのは公式ガイドブックのドラマトラックだったが、3年経ってこれを出してきやがったのか、というのが正直な感想である。元々バチバチの男尊女卑社会なのだ。ただ、しかしそれは後付けに過ぎず、女性が政権を握り男性がその強引な政策に振り回されているという構造は、認知の歪んだ現実の誇張でしかない。乙統女さんや無花果さんのミサンドリーも、男性側のミソジニーも強調されるだけされて、結果的に女vs男に集約されてしまう。その先に一体何が残るのだろう?
幸せの黄色
花を買った。
ミモザが欲しいと思ったものの、暖冬のために平年より足が早かったそうで駅ビルの花屋には仕入れられてはいなかった。
店員さんは申し訳なさそうに「今日はミモザの日ですからね」とラッピングしながら静かに言った。
今年は、特に問い合わせが多かったらしい。この駅ビルを通るたくさんの人が、今日のためにあの花屋でミモザを買おうと思ったのだ。
3月8日は、国際女性デー。
わたしはほんの数年前にそう呼ばれることを知ったが、世の中がこの日を迎えるのは今年で44回目だ。由来は、100年以上前に始まった一連の出来事に遡る。
現代の本邦でどれほどこの日が認知されているのか不明だが、前述したミモザを求める人たちの多さや商業施設で見かけたミモザの意匠の入ったグッズなどを眺めていると、少なくとも「ミモザの日」ということはかなり広まりつつあるのかもしれないと感じている。現に、数年前のわたしは「3月はあのふわふわした黄色い花が出てくるなあ」という認識しかなかったのだが、今は黄色い花を求めようと仕事帰りに花屋に寄る。こうして、年々「ミモザの日」を知る人が増えていくのだろう。
国によって祝い方は様々だと聞くし、各地でデモやイベントが開催され、本邦でも大規模なイベントが全国で行われる(※国際女性デー|HAPPY WOMAN FESTA https://happywoman.online/festa/ 2025年までに全都道府県での同時開催を目標に掲げている)。
そういう日なのだ。
前置きが少々長くなってしまったが、そういう日に相応しくない話をしようと思う。
県下のとある市議会議長が、次のような発言をした。
「女性議員がいない弊害を感じたことはありません」
「昔から男女平等だと思うのに、女性の背中を押そうという法律ができることは不思議」
詳細は、まだ確認していない。
「少女たちへ」とタイトルが付けられた記事の中に、まさかそんな発言があったと思いたくない。
しかも、よりによって議長の座にある現職の議員によるものだ。
ただ、この発言にどうしようもなく納得してしまった。
わたしの生まれ育った県は、九州の中でも男尊女卑の気風が激しい土地柄であると評される。
この「気風」だとか「土地柄」とかいう優しげな言葉に騙されてそのグロテスクさの実態はなかなか人に説明し難いが、異質としか言いようがないほどである。
表向きはそれなりに整った地方都市なので分からないが、その異質さは常にヴェールに隠れて存在し続けているし、市議会議長のお膝元の自治体の現状はあまり想像したくない。
県全体で考えると、件の市議会議長や現職の知事等による失言や暴言、自治体PRのために作られたCMが女性蔑視・未成年者の性的消費を想起させるとしてバッシングを受けたことが記憶に新しいが、全県知事は数年前に教育の公平性を根本から覆すような発言をしている(※2015年の発言で、当時の知事はバッシングを受けて発言を撤回した)。
そもそも彼らが男尊女卑的な土壌で純粋培養され、その思考に疑問を抱くことなく政治家や何らかを決定する職の椅子に易々と座ることができる環境が未だに残っているのだ。それが常に変わり続ける世の中に表出し、批判されているに過ぎないが、彼らからしてみるとその批判や批判の基礎となる思想こそ大層居心地の悪いものだと思う。
こんな世の中は想定外だと言うように、彼らは猛烈に反発し、醜態を晒す。
想定外、上等である。
それを言うなら、有史以来、女性性を持つひとびとは生まれ落ちてから骨になるまでずっと想定外だったのだから。
彼らの想定外の中には、女性たちの生きやすい世界が人質に取られている。
きっかけになった日から、115年が経った。
道はまだ長く、この社会で生きているとまだまだ渦中にあることを実感し、時折絶望してしまう。
だからこそ、今日という日を毎年祝おうと思う。
年を重ねるたびに良き日が増えるように、息苦しさから逃れられるように。そして、ミモザを片手に帰路に着こう。明日が幸せであるように。
**************
ミモザの代わりに花瓶に活けた花は、八重咲きのチューリップだ。鮮明な気持ちの良いピンク色で、店員さんはみっしりと蕾の詰まったものを選んでくれた。「誠実な愛」が、その花言葉だそうだ。
boot camp!
一ヶ月ほど、SNSのお友達が主催してくださったboot campに参加していました。
このboot campは「10月某日開催のイベントに向けて、有志で集い原稿の進捗を報告し合う」という目的で始まったもので、わたし自身はイベント参加や新刊頒布の予定こそなかったのですが、常々「投稿サイトに掲載しているあれとか頒布の終わった既刊のあれとかどうしよう…」と考えていたので、それらに加筆修正して将来的に再録本を出すための前哨戦として参加させていただきました。
先日イベントが終了し、第1期boot campが閉幕したので諸々の感想や個人的な反省点など残しておこうと思います。
目的
※主要な目的のみ
web再録準備
・10月中旬まで(中期目標、以後継続予定)
・web上の作品の手直し、web再録本に向けての準備
→入稿可能な状態にすること。
・2〜3週間を目処とし、全作品に目を通す。校正と推敲を入念に行い、4週目で完成を目指す。
結果
大変お恥ずかしながら、当初予定していた目標を達成することはできませんでした。
「入稿可能な状態」としていますが、web掲載していた作品の見直しをしている段階で少し読みが浅かったなと思うことがあったので、以下反省点に書いていきます。
反省点
・2〜3週間を目処とし、全作品に目を通す。校正と推敲を入念に行い、4週目で完成を目指す。
まずはこちらに関してですが、「全作品に目を通す」ことを事務的にできなかったのが一番大きな失敗だったかな、という気がします。
自分で書いたものをなかなか冷静に読めない人間なので、「全作品に目を通」しているうちに段々嫌〜な気分になってくるんですよね。ここの言い回し駄目だなあとか、書いた当時の自分と倫理観が合わないとか、解釈が違うとか。そうこうしているうちに全部書き直したくなったり、ちょっと(ちょっとどころではないが)加筆してみようかなあなどと目論んでみたりして、そこで足踏みが始まります。
第一、その足踏みがとても長く、下手すると寝っ転がってしまうというのは多いに自覚しているところではありますが、計画の段階では気負ってあれこれ詰め込んでみたりするので、計画倒れにならないように再考と工数の吐き出しが必要だなと思いました。
余談ですが、この目を通すという作業を蔑ろにしながら一作品の加筆修正(件のちょっとどころではないもの。ぶっちゃけ、その作品を書いている当時楽しかったので加筆修正もぐいぐいできると思っていた)に手を出してしまい、結局内容に納得できずその作品は一旦ボツになっています。
そして「校正と推敲」とありますが、それよりもまずプロットの再考と書きたいテーマの洗い出しをすべきでした。というのも、基本的に同じところで似たようなテーマを考えるのが好きな方ではあるので、今まで書いてきた作品もこれから書く(書きたい)作品も同じ枠内にあるのではないかという仮説を持って、「では今このテーマを使って過去こういう風に解釈した事柄をどう説明していくか」に論点を絞っていけば「校正と推敲」よりも、プロットの刷新と書いてきたテーマから湧いてきた新しいテーマを見つけて進めていけたのでは、と考えたからです。
これは「web上の作品の手直し」にも繋がりますが、前述した通り双方を蔑ろにしつつその時したいことを重視してしまい、当初目論んでいた「入稿可能な状態にすること」に全く辿り着かなかったことが一番の反省点です。
*プロットの再考、書きたいテーマの洗い出し
*「書く」ことの順序を守る
*一つの作品に対する作業を完結させる(見直し→プロット再考→加筆修正→校正推敲)
「余裕がない」
至極パーソナルなことなので書くのを迷いましたが、今回の進捗にかなり影響があったので補足として書きます。
仕事とプライベートのバランスを上手く取れず、原稿を執筆できる余裕を作れなくなってしまったのは本当に痛手でした。仕事が忙しい→気持ちに余裕がない→でも原稿は進めたい→思うように書けない…のスパイラルに陥ってしまい、一時手芸に逃避しました。マジでわたしそういうところあるよね、と呆れながら針を進めていましたが、今思えば本当に余裕がありませんでした。そこで反省点で書いたように、初心というか、本来の目的に立ち返れば良かったのに、「進めたい」「進めなきゃ」という気持ちが先行してしまったのが災いになりました(書いていた当時も楽しかったから書ける!という気持ちも強かったので、今度は「書けるだろう」になっていきました)。
そもそも、普段から筆の乗らない時期が続くことが多いのだから、むしろ「今ここでいくつもの過去作に手を加えて完成に持っていける」前提で話を進めていたのが大いなる誤算でした。過信は禁物です。
boot campに参加して良かったこと
・原稿をする上で参考になる
・一人ではないという心強さ
・あの人の新刊が出るぞ!というワクワク感
・半クローズ的な会話で一人で鬱ぎ込むことがない
個人的には反省しきりですが、boot camp、参加して本当に良かったです。
上記にも挙げている通り、原稿を執筆する際のプロットの作り方やどんな表紙にするか、印刷所への調整の仕方、紙の種類などなど、いろんな方のお話を拝見することができてとても良い経験になりました。
同人誌はどうしても自己流になりますが、やはり個人で作る分不安や疑問点も多いため、こうして原稿をする段階から他の方と色々な情報をやり取りすることは大変有意義でした。先日ツイッターで回ってきた「同人作家は一人で発行に関するすべての業務を行っている」という紹介イラストを思い出しましたが、参加者全員が正にその状態なので、目から鱗でした。わたしは小説書きですが、漫画を描かれる方の作業進捗なども見させていただいたり、かなり貴重な経験だったと思います。
そして、鍵アカウントの方で進捗を投稿するにもモチベーションは上がらないし、かといって公開アカウントの方で書くには段々気負ってきてしんどくなってしまう…というなかなかに面倒なメンタリティのわたしにとっては半クローズ的な状態でやり取りができたのは大変嬉しいことでした。みなさん「原稿を書く」という同じ目的で集っているので、激励の言葉や労わりの言葉をお互いに掛け合うことが精神的に助けになりました。
長々と書きましたが、第1期boot campの開催、ありがとうございました。
次は新年に行われるイベントに合わせての開催とのことでしたが、今回の反省点や学びを踏まえて原稿に向き合いたいと思います。