ひょんなことしかない

日々の反省と向上と安定を目論む

好きな雑誌を読まなくなった話

 

先日、&premiumを積極的に買わないようにしよう、と思い立った。

結構熱心なファンだったのだ。紙面の写真はいつだっておしゃれだったし、巻頭のお花も気の利いた特集も羨望と紙一重と言っていいほど好きだったことには変わりないだろう。あと、どうしても拭えないややブルジョア的なところを覆い隠し切れていない雰囲気とか、世の喧騒などものともしない文化的精神的資本の豊かさとか、そういうところにも憧れていたのも否定できない。

が、私と&premiumを隔てたのもそれだった。昨年末頃に発売された号で糸井重里氏のインタビューが載っていたのを見て、&premiumに向けていた羨望がスウーと引いていった。熱が冷めるとかそういう感覚ではなく、明らかに失望だったと思う。

本屋でその号を見かけるたびに買おうとして手を伸ばしたが、やはり糸井氏のインタビューが載っていると思うと購入してまで読む気にはなれなかった。

 

&premium、いい雑誌だと思う。おしゃれだし、良い道具や素敵な過ごし方とか、考え方とか、このご時世にあってもゆったりと時間が流れていて、編集部が自覚か無自覚かは置いておいて、そこそこ有閑貴族的である、という印象を持っている。

ただ、糸井氏のインタビューを掲載しているところを見るに、その有閑貴族的なところと糸井氏の感覚とが不思議とマッチングしたのだと受け取ってしまった。4年ほど前にも氏のインタビューが掲載されたことがあるようなので(当該号は手元にないが)、おそらく、両者間はそこそこいい関係性を築いているのかもしれない。知らんけど。

私は今まで糸井氏の発信するコンテンツに触れてこなかった。せいぜい、編み物をしていた時期に何かを検索してほぼ日サイトに辿り着いた程度だろうか。あとはジブリのコピーか。手帳は下部に印刷されている言葉がノイズになりそうだったので、購入を検討したことはあれど常々選外だった。が、SNS上で見る氏の言葉には常々嫌悪を感じていたために、氏のインタビューが載っている号を見て好きな雑誌に抱いていた疎外感を自覚し失望した上で購読をやめた。

 

ブルジョア的と表現したが、手垢の付いた言葉を使うと「丁寧な生活」という分類に入るのだろう。&premiumという雑誌をひとまず通年とおして読んでいるとわざわざブルジョアだの何だのと揶揄するようなこともないのだが、先祖代々住んできた都心一等地の屋敷だとか、先祖が建てた別荘とアンティーク家具を譲り受けて生活しているとか、週末だけ田舎のセカンドハウスに住まうとか、そこそこの値段のするものが”推奨されるもの”としてずらりと並んでいたりだとか、そもそも今の自分には到底叶いそうもないものばかりが並んでいるのだ。そういうものが駄目だ、とかではなく、地方でどうにか生きている私個人にとって非現実的なことばかりなので、この雑誌に対して最初こそ「ああ、私は&premiumの客ではないな」と自覚しただけの話だったが、糸井氏のインタビューが掲載されていることが一番の決定打だった。

 

どんな時勢にも揺るがされることなく、自分のペースを守る、というスタンスのみであれば支持のしようもあるのだが、この雑誌には社会的側面が見えないのだ。立ち読みすらしなかった”糸井氏のインタビュー”(さほど誌面を割いていないようにも見えたが)が雑誌のひとつのスタンスを表しているようで、好きで読んでいた人間としては辛かった。社会的側面が見えず、ブルジョア的なことは雑誌としての一種の長所であろうが、今の私はそれを許容することができない。

最近は実用も兼ねて暮らしの手帖を選ぶことが増えたが、こちらはこちらで戦中の花森安治とケリを付けなければならない(これは私の気持ちの問題です)。ただ、暮らしの手帖はかなり内省的というか、生活する人間の息遣いが見えて落ち着く。

まだ&premiumへの複雑な気持ちは抱えているが、まあ、そのうちどうにかしよう。