ひょんなことしかない

日々の反省と向上と安定を目論む

幸せの黄色




花を買った。


ミモザが欲しいと思ったものの、暖冬のために平年より足が早かったそうで駅ビルの花屋には仕入れられてはいなかった。

店員さんは申し訳なさそうに「今日はミモザの日ですからね」とラッピングしながら静かに言った。

今年は、特に問い合わせが多かったらしい。この駅ビルを通るたくさんの人が、今日のためにあの花屋でミモザを買おうと思ったのだ。


38日は、国際女性デー。

わたしはほんの数年前にそう呼ばれることを知ったが、世の中がこの日を迎えるのは今年で44回目だ。由来は、100年以上前に始まった一連の出来事に遡る。

現代の本邦でどれほどこの日が認知されているのか不明だが、前述したミモザを求める人たちの多さや商業施設で見かけたミモザの意匠の入ったグッズなどを眺めていると、少なくとも「ミモザの日」ということはかなり広まりつつあるのかもしれないと感じている。現に、数年前のわたしは「3月はあのふわふわした黄色い花が出てくるなあ」という認識しかなかったのだが、今は黄色い花を求めようと仕事帰りに花屋に寄る。こうして、年々「ミモザの日」を知る人が増えていくのだろう。


国によって祝い方は様々だと聞くし、各地でデモやイベントが開催され、本邦でも大規模なイベントが全国で行われる(※国際女性デー|HAPPY WOMAN FESTA https://happywoman.online/festa/ 2025年までに全都道府県での同時開催を目標に掲げている)。


そういう日なのだ。


前置きが少々長くなってしまったが、そういう日に相応しくない話をしようと思う。


県下のとある市議会議長が、次のような発言をした。


「女性議員がいない弊害を感じたことはありません」

「昔から男女平等だと思うのに、女性の背中を押そうという法律ができることは不思議」


詳細は、まだ確認していない。

「少女たちへ」とタイトルが付けられた記事の中に、まさかそんな発言があったと思いたくない。

しかも、よりによって議長の座にある現職の議員によるものだ。

ただ、この発言にどうしようもなく納得してしまった。


わたしの生まれ育った県は、九州の中でも男尊女卑の気風が激しい土地柄であると評される。

この「気風」だとか「土地柄」とかいう優しげな言葉に騙されてそのグロテスクさの実態はなかなか人に説明し難いが、異質としか言いようがないほどである。

表向きはそれなりに整った地方都市なので分からないが、その異質さは常にヴェールに隠れて存在し続けているし、市議会議長のお膝元の自治体の現状はあまり想像したくない。


県全体で考えると、件の市議会議長や現職の知事等による失言や暴言、自治PRのために作られたCMが女性蔑視・未成年者の性的消費を想起させるとしてバッシングを受けたことが記憶に新しいが、全県知事は数年前に教育の公平性を根本から覆すような発言をしている(※2015年の発言で、当時の知事はバッシングを受けて発言を撤回した)。

そもそも彼らが男尊女卑的な土壌で純粋培養され、その思考に疑問を抱くことなく政治家や何らかを決定する職の椅子に易々と座ることができる環境が未だに残っているのだ。それが常に変わり続ける世の中に表出し、批判されているに過ぎないが、彼らからしてみるとその批判や批判の基礎となる思想こそ大層居心地の悪いものだと思う。

こんな世の中は想定外だと言うように、彼らは猛烈に反発し、醜態を晒す。


想定外、上等である。

それを言うなら、有史以来、女性性を持つひとびとは生まれ落ちてから骨になるまでずっと想定外だったのだから。

彼らの想定外の中には、女性たちの生きやすい世界が人質に取られている。


きっかけになった日から、115年が経った。

道はまだ長く、この社会で生きているとまだまだ渦中にあることを実感し、時折絶望してしまう。

だからこそ、今日という日を毎年祝おうと思う。


年を重ねるたびに良き日が増えるように、息苦しさから逃れられるように。そして、ミモザを片手に帰路に着こう。明日が幸せであるように。






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ミモザの代わりに花瓶に活けた花は、八重咲きのチューリップだ。鮮明な気持ちの良いピンク色で、店員さんはみっしりと蕾の詰まったものを選んでくれた。「誠実な愛」が、その花言葉だそうだ。